2016.08.19 Fri

京都の山城農産から、もも肉と胸肉のセットをクール便で送ってもらう京鴨。
送られたものは、もも肉と手羽元肉はひき肉にして京鴨つくねに。
ロースの部分は串焼きに仕込みますが、一部は丸のまま表面を焼き、桜のチップで燻製にします。
京鴨のロースの串焼きを作るときは、まず皮と肉の部分を分け、肉身から筋と血管を完全に取り除いて、脂を削ぎ落とした皮で巻き込むようにして串に刺しますが、厚みを出すために直径2センチ近い太めの長葱を間に挟みます。
皮側は香ばしく、中は焼き過ぎないようにジューシーに焼き上げ、最後に鴨肉の風味と相性の良い粉山椒を振ってあります。

京鴨は合鴨として日本でも最高レベルの品質に仕上げるために、飼育環境や飼料にこだわって他に例がないほど衛生的に育てられています。
そのために鴨肉特有の臭さはほとんど無く、旨みもとても多い味わいですが、やはり価格もそれなりに高くなってしまうのは仕方がないことです。
当店は15年以上前から定期的に取引しているので、安定的に供給していただいていますが、最近需要が非常に増加しているようで、新規の注文に応じることが難しくなり、山城農産では生産体制を見直し増産を始めたようです。
最近の食に対する傾向は、ネットの広がりやテレビなどのマスコミの低レベルで表面的な演出や思考操作により、本質よりも見た目の注目度に流れていると感じていましたが、やはり本物を正しい調理方法で提供しているところは業績も良く、それが京鴨の注文増加に結びついているかもしれません。
時代に流されるのは若年層が中心で、人間のエゴを利用した商売としての食べ放題などの量と低価格を売りにした提供方法は、欲の深い一部の人だけが喜んでいるのでしょう。
人が食べ物を摂取するということは単にカロリーを摂取し、ただ命を繋ぐだけの行為ではなく、食べ物(素材)の持っているエネルギーを利用して肉体形成や、精神の育成に利用していると僕は考えてます。
素材が持つ物質としての意味だけでなく、すべての生物が持つその命というエネルギーにこそ意味があり、それを頂くことが人間の滋養になっているのです。
人間は機械で作り出したサプリメントのように、人間が認識できている科学的な成分だけの摂取では長く生きることはできません。
生命エネルギーは減退し、免疫力は弱まって病気や感染症にかかりやすくなり、生きる気力も失っていくのです。
そして本来、野菜でも魚や鶏、豚や牛など全ての生命が、自分が生きるために必死に作り上げているその体を、人間が自分の都合で利用するわけですから、それらに対し感謝の気持ちを持たなければならないはずです。
しかし、昔の日本人が当然のように行なっていた食事を頂くときの自然に対する感謝の気持ちは、経済成長とともに現代では完全に失われ、いつの間にか食事はエンターテインメントになってしまいました。
今、優れた料理人と言われる人は、奇抜な食材を探し出し、目で見る艶やかさと、口に入れた瞬間だけの感動を作り出すことができる人になり、僕のようにそのような行為に異を唱える人は、社会からひとりもいなくなってしまったのかもしれません。
日本に無い珍しい食材を、色味だけを考えてデザインするように調理することが評価される現代の飲食業界は、僕は非常に違和感を感じてます。
しかし、本来、料理の本質は素材の表現であるべきで、その素材が持つエネルギーをいかに劣化させることなく、無駄な時間をかけずに素早く摂取しやすい形に調理して、提供できるかこそが最も重要なはずです。
できるだけ自分が住むその風土に根ざした昔から続く食材を、その大地のミネラルが多く含まれる海水から作った塩を使い、たくさん採れる旬の時期に、できるだけシンプルに調理することこそ、エネルギーやミネラルが失われることなく体内に摂取できる最良の調理方法なのです。
特に近年は西洋の自然を敵と捉え、自然全てを支配しようと考える左脳的思考が日本でもすでに常識となり、多くの人の共感を得るエンターテイメントこそが重要だと考える自然に感謝できない現代社会は、僕にはそれほど長く持続出来るとは思えません。
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2016.07.15 Fri

京都の山城農産が自社で孵化から飼育までおこなう京鴨。
ソフトウッドを敷き詰めた清潔な環境で育てた鴨肉は鴨特有の臭みを感じさせない非常に旨味の強い味わいです。
皮に串で穴をあけ、海の精の塩を揉み込んだ後、30分ほど風に晒し、焼き台で弱火でじっくりと皮目を焼き、強火で中がロゼになるように肉目の方を焼きあげてます。
そのあと扇風機で急速に冷まし、茶箱を使った自家製のスモーカーで氷で冷ましながら桜のスモークウッドで燻製にします。

フランス産の鴨より赤味の濃い京鴨ロースの燻製。
スライスした京鴨の燻製に、フレンチドレッシングにレモン、オリーブオイルを加えたソースをかけて、クレソンを散らしたカルパッチョ。
ブルゴーニュの赤ワインともよく合います。
2015.12.24 Thu

暖冬といわれる今年の冬ですが、明日以降は北にある低気圧の発達により、この冬一番の寒気が入り込むため、日本全体が猛烈な寒さになるようです。
日本海側の大雪も今年一番の積雪になるようで、道路に閉じ込められる人が出る可能性があります。気をつけてください。
寒さが増してくると、鴨肉に脂が多く乗りさらにおいしくなる京鴨つくねと焼きねぎの雑炊。
京鴨を飼育、販売している京都の山城農産は、鴨肉では日本のトップ評価の生産者。
昨年あたりから注文が殺到し生産が追い付かず、現在は新規のオーダーや追加注文はすべてお断りしているようです。
冬は冷涼な京都の山間部で、毎日床に敷き詰めるウッドチップを交換するなど、徹底的に清潔な環境にこだわり、飼料も穀物主体で飼育するために、鴨肉特有の血や鉄ぽい臭みはまったく感じられない上品な味わいです。
ストレートに鴨の旨みが広がり、焼きねぎの香ばしさと甘み、そして鰹節の旨みが加わり、他にはないおいしさが楽しめます。

新鮮で、彩やかな色の京鴨ロース。
2015.11.29 Sun

京都の山城農産が自社で孵化から飼育までおこなう京鴨。
本物の鴨肉の需要が近年急に高まり、山城農産に注文が殺到しているために、新規の注文はすべて断っているだけでなく、今年は追加の注文も出来なくなってしまいました。
15年以上の取引がある山城農産ですが、こんなことは初めてです。
ソフトウッドを敷き詰めた清潔な環境で育てた鴨肉は鴨特有の臭みを感じさせない非常に旨味の強い味わいです。
皮に串で穴をあけ、海の精の塩を揉み込んだ後、30分ほど風に晒し、焼き台で弱火でじっくりと皮目を焼き、強火で中がロゼになるように肉目の方を焼きあげてます。
そのあと扇風機で急速に冷まし、茶箱を使った自家製のスモーカーで氷で冷ましながら桜のスモークウッドで燻製にします。

フランス産の鴨より赤味の濃い京鴨ロースの燻製。
スライスした京鴨の燻製に、フレンチドレッシングにレモン、オリーブオイルを加えたソースをかけて、クレソンを散らしたカルパッチョ。
ブルゴーニュの赤ワインともよく合います。
2015.07.04 Sat

京都の山城農産から、もも肉と胸肉のセットをクール便で送ってもらう京鴨。
送られたものは、もも肉と手羽元肉はひき肉にして京鴨つくねに。
ロースの部分は串焼きに仕込みますが、一部は丸のまま表面を焼き、桜のチップで燻製にします。
京鴨のロースの串焼きを作るときは、まず皮と肉の部分を分け、肉身から筋と血管を完全に取り除いて、脂を削ぎ落とした皮で巻き込むようにして串に刺しますが、厚みを出すために直径2センチ近い太めの長葱を間に挟みます。
皮側は香ばしく、中は焼き過ぎないようにジューシーに焼き上げ、最後に鴨肉の風味と相性の良い粉山椒を振ってあります。

京鴨は合鴨として日本でも最高レベルの品質に仕上げるために、飼育環境や飼料にこだわって他に例がないほど衛生的に育てられています。
そのために鴨肉特有の臭さはほとんど無く、旨みもとても多い味わいですが、やはり価格もそれなりに高くなってしまうのは仕方がないことです。
当店は15年以上前から定期的に取引しているので、安定的に供給していただいていますが、最近需要が非常に増加しているようで、山城農産では新規の注文は全て断っているとのことです。
最近の食に対する傾向は、ネットの広がりやテレビなどのマスコミの低レベルで表面的な演出や思考操作により、本質よりも見た目の注目度に流れていると感じていましたが、やはり本物を正しい調理方法で提供しているところは業績も良く、それが京鴨の注文増加に結びついているかもしれません。
時代に流されるのは若年層が中心で、人間のエゴを利用した商売としての食べ放題などの量と低価格を売りにした提供方法は、欲の深い一部の人だけが喜んでいるのでしょう。
人が食べ物を摂取するということは単にカロリーを摂取し、ただ命を繋ぐだけの行為ではなく、食べ物(素材)の持っているエネルギーを利用して肉体形成や、精神の育成に利用していると僕は考えてます。
素材が持つ物質としての意味だけでなく、すべての生物が持つその命というエネルギーこそに意味があり、それを頂くことが人間の滋養になっているのです。
人間は機械で作り出したサプリメントのように、成分だけの摂取では長く生きることはできません。
生命エネルギーは減退し、免疫力は弱まって病気や感染症にかかりやすくなり、生きる気力も失っていくのです。
そして本来、野菜でも魚や鶏、豚や牛など全ての生命が、自分が生きるために必死に作り上げているその体を、人間が自分の都合で利用するわけですから、それらに対し感謝の気持ちを持たなければならないはずです。
しかし、昔の日本人が当然のように行なっていた食事を頂くときの自然に対する感謝の気持ちは、経済成長とともに現代では完全に失われ、いつの間にか食事はエンターテインメントになってしまいました。
今、優れた料理人と言われる人は、奇抜な食材を探し出し、目で見る艶やかさと、口に入れた瞬間だけの感動を作り出すことができる人になり、僕のようにそのような行為に異を唱える人は、社会からひとりもいなくなってしまったのかもしれません。
日本に無い珍しい食材を、色味だけを考えてデザインするように調理することが評価される現代の飲食業界は、僕には非常に違和感を感じてます。
しかし、本来、料理の本質は素材の表現であるべきで、その素材が持つエネルギーをいかに変化させることなく、無駄な時間をかけずに素早く摂取しやすい形に調理して、提供できるかこそが最も重要なはずです。
できるだけ自分が住むその風土に根ざした、昔から続く食材を、その大地のミネラルが多く含まれる海水から作った塩を使い、たくさん採れる旬の時期に、できるだけシンプルに調理することこそ、エネルギーやミネラルが失われることなく体内に摂取できる最良の調理方法なのです。
特に近年は西洋の自然を敵と考える左脳的思考が日本でもすでに常識となり、多くの人の共感を得るエンターテイメントこそが重要だと考える、自然に感謝できない現代社会は、僕にはそれほど長く持続出来るとは思えません。