2016.01.03 Sun

言語をもたない動物たちは、人間と違いほとんどが臭覚を使ってコミュニケートしています。
しかし実際には群れなどの社会性を持つ一部の動物以外、左脳を持つ人間のような必要以上のコミュニケーションをとる必要はほとんどありませんが。
子供の頃からなぜか飼っている犬の気持ちがわかる気がしていました。
けして言葉として伝わってくるわけではなく、その時の感情などが思考エネルギーとして感じられたのだと思います。
反面、学校の授業中の先生や友達などとうまく意思疎通が出来ず、子供のころは学校に行くのが非常に苦痛だったことを思い出します。
他者が発する人間特有の感情や欲望などのエネルギーが、自分の中で上手く扱うことができず、強い違和感として感じていたのかもしれません。
そのため一人でいることが大好きで、秩序だったエネルギーだけが溢れている自然の中で、植物や動物の発する歪みのないエネルギーを感じたり、自分自身と向き合うことが楽しかったことを思い出します。
実際に地球に膨大な量が存在しますが、人間にはまだ解明できていないエネルギースペクトルの一つにMバンド(Mフィールド)というものがあります。
通常、物質的な動物を含めた全ての意識エネルギーが使用するコミュニケーションツール(非言語コミュニケ-ション)の一つです。
左脳が発達し、言語を使うようになる以前の人間も日常的に持っていた能力で、危険を察知したり、地震を予知したりするのもこの能力の一つです。
ペットとして飼っている犬や猫が、主人の帰宅を事前に察知して待っていることがあるのは、動物が日常的にこの能力を使っている典型的な例です。
そして今でも多くの人が直感やアイデアを閃くとき、自分以外の意識体(人間以外の意識を持った存在)からMバンドによって受け取っているのです。
Mバンドは電波や磁気エネルギーと違い電磁気を帯びておらず、現時点で人間が科学的に信号として捉えることはまったくできません。
しかし、地球には人間の感情が作り出す、膨大な量のコントロールされていない無秩序なMバンドノイズ(騒音)というのが溢れていて、外部の意識エネルギー(肉体をもたない意識体)が近づくことの妨げになっています。
物質的には見ることはできませんが、特に地球を包んでいるリング帯の一番内側である睡眠中に夢を見ている人の意識や、死後閉じ込められている膨大な量の人間の魂(肉体から離れた意識)たちが存在するエリアで、このMバンドノイズが強く鳴り響いていて、外部とのコミュニケーションの妨げになっているようです。
そして、僕のように都会や人混み、繁華街に行くと気分が悪くなるのは、このMバンドノイズが無自覚に聞こてしまう人たちで、人間の歪んだ欲望やネガティブな感情がカオスのように渦巻いているエネルギーを違和感として捉え、右脳とつながる潜在意識が感じてしまうのでしょう。
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2015.12.22 Tue

目で見えるものしか信じない現代の人間。
科学的に検証され、多くの人が確認できたもの以外その存在を認めようとしません。
しかし産業革命が起きる以前の人間は、唯物論がまったく正しいとは考えられていなくて、多くの人はこの世界は人の目に見えない何かのエネルギーで構成されていることを知っていました。
特に江戸時代までの日本人は、人間をはるかに超越した自然現象に対抗することは不可能であることを知っていたし、逆に自然の恵みによって生かされていることを大切に思い、うまく利用することこそが人生を豊かにすることであると考えていたのです。
そして左脳が発達していた欧米人のように、自然をコントロールすることばかりを考えている人は愚かなことだと思われていたのです。
科学の発達により、安定した生活の豊かさと多くの安全を手にすることができた人間は、いつの間にか目に見えない部分を考えることを一切やめ、以前は病気や気象、意識に対処していたシャーマンなどの呪い師や魔女を悪魔として呪うようになったのです。
科学的に解明されたものだけを信じ、それを使ってどうやって対処できないと思っていた自然や病気をコントロールすることが可能かだけを考えるようになったのです。
非科学的なことを言う人や意見を完全に否定し、全体的な圧力をかけ教育などを使って強制的に排除してきたのです。
しかし、そのために自然や目に見えない部分とつながっているいる自分の潜在意識も否定するようになり、自分が本当は何者で何をするために生まれてきたのかも考えなくなってしまいました。
自分の無意識を心の闇として捉え、表面化しないようにしっかりと鍵をかけ、だれにも本心を曝け出さないようになったのです。
ストレスをため、鬱などの精神的な病にかかる人が弱いのであって、それに耐えて生きるのが当然だと子供のころから社会全体で抑えつけてきたのです。
しかし人間が時々見せる素晴らしい技やテクノロジー、美しさなどのアート作品、感動する物語などのほとんどすべては、無意識に発する無自覚な好奇心によって育まれ、この好奇心のエネルギーにより数々の試練を乗り越えて成し遂げられたことなのです。
羽生選手の人を惹きつけるスケーティングも、村上春樹の奥深い小説世界も、そして人間だけでなく四季折々に見せる自然の美しさも、チーズや糠漬けなどの発酵食品の美味しさも、目に見えない何かのエネルギーによって成り立っているのです。
そして人間以外のすべての生物は、目に見えない何かのエネルギーによって決まった方向性を与えられ、その秩序に従って生きています。
人間と違い自然現象はすべて当然なことであると受け入れ、それに対抗しようと目論んだり、起きてしまったことに理不尽だとか否定的になることもありません。
この世にあることはすべて必然なこととして受け入れ、常にその先のことを考えています。
自分の死も必要以上に恐れることはせず、その時が来れば自然と受け入れます。
人間だけが自然を人間が手を加えない人工の反対だと勝手に解釈し、自然を大切にしようなど上から目線でとらえるのです。
人間の都合による想定を超える現象は、実際はいつ起きてもおかしくないのに、科学技術による安全神話に酔いしれる人間は、そのことを無視し、快楽に溺れることこそが生まれてきた目的であると考えるようになってしまいました。
氷山にぶつかったタイタニック号が、こんなに大きな船がたかがそれぐらいで沈むわけないと、乗員すべてが宴会を続けているかのように。
2015.12.01 Tue

一般的な現代人は他人の自分に対する評価が常に気になり、そのために自分を少しでも良く見せるような行動をとる人が多いようです。
そして新しい話題や人の気を引く目立つものを好み、見たことや行ったことのない場所や、流行のファッション、エンターテイメントに興味を持ち、大衆の空気を読むことに常に注意を払うようです。
ランキングなどの他人の判断や評価、人気のあるブランド品も大好きで、それらを所有することで他者から褒められたり、良い評価を得られることこそが自分の人生の生きる目的になっているからなのでしょう。
そしてそれにお金を使うことや、それらを手にするための労力はまったく厭わないようです。
また人間は孤独が嫌いで、誰かと常にコミュニケーションがないと不安になり、特に他者と驚きや喜びなどの価値観を共有することが人生の重要な意味だと捉えているようです。
実はそれは見ず知らずの他人を怖れる反面、自分と共感できる大多数と群れることに安心感を覚えるように遺伝子に書きこまれているためです。
それは地球の長い歴史の中で、ほとんどの草食系の小動物が群れることで身を守ることを本能的に身につけていて、それが人間の遺伝子にも受け継がれているためなのでしょう。
しかし、その時点の自分の精神の本質を表している右脳の奥にある潜在意識は、その認識力や思想の深さによって人それぞれのレベルが異なり、そのレベルはどれだけ外見を装い、学歴や社会的地位でよく見せようとしても、絶対的に変えることはできません。
そしてその精神レベルの異なりが、男女の差を創りだすホルモンの分泌のように細胞に影響を与え、その人の人相すら変えてしまうのです。
いつも不安を抱え、短気で暴力的になりやすい人が外見的に強面になりやすく、楽観的に物事を捉えいつも笑顔でいる人が若々しく見えるのはそのためです。
さらに近年、人間は論理性(わかりやすさ)に優れる左脳の向上心により、文明や文化を急激に進化させてきましたが、その進化により社会や人間関係が混沌とし、複雑になればなるほど精神的孤独感が増し、自分自身の本質である右脳(精神)レベルによる信念、思想、趣味や価値観、宗教などによる小さな集団化が顕著になってきました。
渋谷系ギャルや秋葉原に多いオタクと同じような、共通思想からくる集団化が日常的になってきたのです。。
さらに近年特にLINEなどの安価なネットなどのSNSの急激な普及により、自分の学歴や収入、身分に関係なく、物質以外の観念や感情だけで連帯が広がるので、論理的思考をする左脳が発達する以前の小さな子供が、小学校のクラスの中で自然に似た者同士が友達を作るように、人それぞれの精神レベルにより群れを作る傾向が強まったようです。
そして、それによる肉体(物質的痛み)を伴わない観念だけが独り歩きを始め、社会や家庭、自分に対する不満から、怒りや恨み、嫉みなどの感情だけが暴走し、様々な悪意が加速度的に増強され始めたのです。
それにより考え方の違いから起きる思想的対立も以前より顕著になり、その制御できないエネルギーが今後、暴力や犯罪の温床となっていく懸念が強まりました。
先進国に対するイスラム国のテロのような宗教的対立や地域的紛争が、今後もっと激しくなっていくでしょう。
スマートフォンの爆発的な広がりと普及がもたらす利便性と経済効果ににより、多くの人が社会が豊かになった思っているようですが、それがもたらす負の面は実際には表面化しないように社会全体で合意しているような気がします。
目に見えるものしか信じない科学技術、教育、司法制度は、人間の精神的な変化などの目に見えない異変など、あえて注意を払う必要はないと考えているのかもしれません。
しかし、実際にはその負のエネルギーが目に見えない所で小さな差別やいじめを起こし、それがヘイトスピーチや軍国化へのエネルギーに繋がり、次第に目に見える形での膨大な数の難民として表れはじめ、暴力化が激しくなってきたテロに結び付くいているのです。
人生の本当の意味を考えなくなった人間は、この流れによって徐々にナショナリズムの機運が高まり、過去の過ちを忘れ、何度も同じことを繰り返すのかもしれません。
2015.11.03 Tue

日常的にほとんど意識されることのない右脳の仕事ですが、実は人間の本質やこの宇宙の成り立ちなどの真理を、どれだけ深く理解、認識しているかによって、その仕事内容は大きく変わります。
一般的に認識の浅い人は強欲で俗っぽいものを好み、深く理解している人は自己を確立し、世間に流されない人たちです。
しかし過去と違い現代はそれによって実際に人間の能力として評価されたり、他人と比較されることはほとんどないようです(顔立ちがきれいで、金持ちであれば低俗でも問題ないということです)。
反対に左脳は理性的な判断や行動を常識的に行うことが得意で、日常的な会話や計算、意識的な思考のほぼすべてを担当しているので、その処理能力のレベルによって現代社会は、学歴や資格の有無、常識人としての評価や収入などにより、人間を格付しているようです。
しかし、左脳が行う現実的な対応に対し、そこに意味や本質的な必要性を加えるのが右脳で、それ故に右脳の思考レベルによって、実際はその人間の精神レベルが決まると言っても過言ではありません。
現代社会では一般的に知能とは左脳の処理能力だけを指していますが、本来人間はその知能をどう使うかが最も重要なはずです。
左脳だけでは運転手のいない自動車や操作する人のいないパソコンと同じで、その性能をどう引き出すのかはすべて操縦手である右脳が行っているのです。
つまり右脳と左脳はそれぞれ単独で機能することはなく、常にお互いが連動し作用しあうように人間は脳を使ってきたのです。
現代人の多くがスマートフォンやタブレットなどのデジタル商品を必要以上に好むのは、その利便性やスピード、持つことのかっこよさだけでなく、それらが娯楽性やエンターテイメント性に非常に優れるからです。
それは子供の頃からゲームや計算、暗記中心の学習など、結果ばかりを重視する左脳的能力ばかり鍛えてきたため、右脳の持つ好奇心や探究心からくる本質的な認識力を高めることがなく、ビデオやゲームのように外部から与えらるエンターテイメントにしか興味を持たなくなってしまったからです。
さらに、SNSなどから友達の嗜好や社会の変化(空気)をすぐに感じること(共有すること)ができ、それらが途切れることなく新しい情報やコンテンツを提供してくれるため、自分で物事の良し悪しを判断する必要がまったく無くなってきたのです。
そのために右脳が欲する自分自身の本心や希望を完全に閉じ込め(目をつぶり)、世間の常識に従うことだけを意識した左脳重視の思考に変化してしまったのです。
口が達者なのに思考が浅くて単純な日本の総理大臣のように、左脳は優れていても右脳思考レベルが低いと、多面的に物事を捉えることができず、自己中心的な思考や行動になり、自分の主張を他者に押し付けようとする傾向になるようです。
反対に歴史を変えるような大きな判断や、歴史を越えて使用されるデザインや製品を生み出す力は、間違っても優れた左脳だけの能力から生み出さるわけではなく、同時に右脳のとても深い本質的思考が必ず伴っていたのです。
それは自分が無意識に突き動かされるような、偉大な他の力が働くような必然性を伴っていて、その作用やエネルギーは、右脳の奥深くにある潜在意識とつながるどこかから送られてくるものなのです。
その必然性を失い、快楽ばかりを追い求めるようになった現代社会は、いったいどこへ向かおうとしているのでしょうか。
多くの人がこの先の人間社会に、発展や希望が持てないのは、おそらくそのせいだと思います。
2015.10.25 Sun

左脳は無意識とつながり感覚的な思考をする右脳と異なり、「正しさや分かり易さを追求する合理的な思考」を行う脳で、動物の中で人間だけが持つものです。
そのために、自分に都合よく解釈する傾向が強く、効率や生産性を高める資本主義や、お金ですべての価値を判断する現代社会において非常に有益な機能を果たします。
左脳は丁度パソコンの CPU (中央演算処理装置)と似た働きをし、人それぞれの経験からくる自分なりのプログラムを利用して文字や数字を論理的に分析、理解し、他者とのコミュニケーションや日常生活に必要な働きをします。
処理スピードを優先するCPU と同じく左脳の記憶する絶対量は非常に少なく 、記憶する言葉などでそのエリアいっぱいになると、テープレコーダーのように一番前に戻り、古い部分に重ね書きを行います。
長いセリフが覚えにくかったり、聞いた事を忘れるのはこの為で、新しい情報を優先的に記憶させるため、古い情報は忘れてしまうようにあえて設計されているのです。
そのためハードディスクのようにどこかに記憶させる必要があるので、人間は左脳の直接的な記憶だけでなく、イメージや印象による、あいまいだけれど絶対量の非常に多い右脳の記憶をうまく併用しているのです。
右脳の役割の中心は、五感を通じた感覚や感性を無意識に捉え、肉体の運動機能を無自覚にかつ本能的にコントロールしています。
右脳の五感からの認識は、瞬時に直感的にかつ総合的に外部からの入力情報を認識し判断しますが、その認識は左脳に比べると曖昧で総括的なイメージとしての認識です。
しかし右脳の記憶容量は左脳に比べてとてつもなく大きく、膨大な情報を忘れることなく記憶する事が出来、また記憶の引き出しや処理スピードも左脳とは比べものにならないほど迅速に行うことが可能です。
それは左脳のように直接的な記憶ではなく、認識や理解力による全体像の把握からくる情報収集なので、ある意味記憶という実体的なメモリーではないからです。
「百聞は一見に如かず」という諺があるように 、特に視覚による画像・映像などのイメージ情報の認識は、高速かつ精度が高く、忘れることがほとんどない認識力の高いものです。
この場所は見たことがあるとか、この人は会った事があるなど、瞬時に記憶がよみがえるのも右脳の特徴的機能です。
自分も毎日の作業で串焼きのオーダー伝票を瞬間的にイメージだけで捉え、そのあと他の作業をしながら記憶を呼び戻しつつ分析分類し、作業を進めていきます。
左脳が行う一つ一つを確認しながらする作業では、まったく作業効率が悪く、無駄な時間がかかるからです。
右脳の記憶容量にはディスクのように限界があるわけではなく、認識力を深めれば深めるほど、記憶量も際限なく増えていきます。
それに伴い理解力、分析力、判断力も深まり、処理スピードも際限なく早くなります。
体操選手が4回転捻ってもきれいに着地できるのも、F1レーサーが瞬時に路面状況や他車との距離、タイヤのグリップ力などを計算できるのも、ベテランの職人の技術と同じように熟達により無意識による計算領域が広がっているからなのです。
右脳の能力は、現在の唯物論的な科学では全く理解、解明されていないので、教育現場では当然のように試験勉強も無理やり左脳に詰め込んでいますが、左脳は記憶容量が少ないので試験が終わるとすぐに忘れてしまうのはこのためです。
人間は右脳が求める好奇心に従い、好きなことを繰り返し同じことを反復したがる習性があるのは、本能的に右脳に憶え込ませるためで、自転車に一度乗れるようになると乗り方を忘れることがないように、一度身につけた技術や職はほぼ一生忘れることがないのは周知の事実です。
それこそが日本で昔から言われる仕事や技を身に着け、人間として一人前になるということで、それがあればどんなに大災害や経済崩壊が起きても、人間は何不自由することなく生きていくことができるのです。