孤独死
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彼の遺体が見つかったのは1月25日。独り住まいのアパートの部屋でした。
連絡が取れない彼の姉が、大家さんに部屋を確認してもらったところ、鍵を開けた瞬間に彼の死を理解したようです。
検死の結果、死後一週間近く経っていて、死因は肺炎をこじらせたあと最終的には心筋梗塞が原因だったようです。
こんな老人のような死に方をした彼の年齢は46才。僕よりも4歳も若い、人生まだこれからという年齢でした。


彼は僕の店が開店した1984年4月のほぼ最初のアルバイトのひとりで、その後、長く働いたあと私生活でも僕の家族とずっと交流がありました。
彼はその当時では珍しくアメリカへ高校留学をして、帰国してからは日本人離れしたセンスとかっこよさで人を惹きつけ、誰からも慕われていました。性格もいつも明るく、常に友達の輪の中心にいたことを思い出します。

ライムグリーンのカワサキのKR250にまたがり、まだ珍しかったシンプソンのヘルメットを被り、革ジャンをさりげなく着こなして、バイクを降りた後には、ジェームス・ディーンのように粋にコルベット・スティングレーで本牧あたりを流していました。
店をやめた後は、友達と建築関係の仕事をし、独立した後、自分の会社も興しました。

状況が変わり始めたのは、バブル崩壊により建築業界全体に不況の風が吹き荒れたあたりです。
仕事の不満を深酒に逃れ、愚痴が多くなり、知り合いの店に行っては酔いつぶれるか、寝入ってしまうことが多くなりました。
人には言えない危険な仕事にも手を出すようになり、飲酒運転を繰り返しては、警察沙汰になることが多々あるようでした。

それでも定期的に店に訪れてきては、僕と一緒にビールを飲むことを喜んでいるようでしたが、徐々に体調がおかしくなってきているのは誰の眼にも明らかでした。
顔色は悪く、彼だけ年齢以上に老けていくのが時間の経過より早く、酒を飲んで酔っ払ったときだけ少年の時のような笑顔を見せることに、僕は心配し、気をつけるように何度も念を押したことを思い出します。

まだ40代半ばなのに70歳のような老け方をして、最後に店に来たのは2年ほど前。
それまでも何度も問題を起こしては店に来れなくなり、しばらくしてほとぼりが冷めるとバイトを始めた当時の笑顔で僕と飲みたいと顔を出すことを繰り返していました。
自分の成長を最優先し、一心不乱に前を向いて店を良くしてきた僕にとって、彼の後ろ向きな生き方にいい加減限界に感じた僕は言ってしまいました。
「俺はお前と違って、過去にすがって生きるのは嫌いなんだ。昨日の自分とは違う、進歩した自分になりたいんだ。」
「だから、もう顔を出すな。」

僕が一人先に帰ったあと、その日は珍しく体調が良かったのか、残った従業員の前で妙に明るくおどけて、最後には全員にラーメンを食べに連れて行ったそうです。


彼の死の連絡を受けて、僕が彼に言った言葉がどれだけ彼を傷つけたのか、初めてわかりました。
彼はただ、バイトを始めた当時の輝いていた毎日を取り戻したかっただけだったのです。何もかもが噛み合わなくなった人生を巻き戻したかったのでしょう。
その淋しさを紛らわすには、人生で一番楽しかった1984年の僕の店にきて、僕や幸子の笑顔を見ることしかなかったのかもしれません。

吾朗。
今更後悔しても遅いのはわかっています。
でも、看病する人もなく、一人寂しく死が近づく床の中で、あの楽しそうな笑顔でバイトをしていた当時を思い出していたかもしれないことを思うと、僕は胸が締め付けられます。

でも最後は一番かっこよかった吾郎のまま逝ったのかもしれません。
病院に運ばれ、入院ベットの上で延命措置を施されながらみっともない姿で死ぬことなんて、絶対望んでなかったはずです。
今は十年以上我慢していた痛みや苦しみから解放され、革ジャンを風になびかせてKRやシェヴィーで思う存分走り回っていることでしょう。

吾郎。安らかに。
|10:06:29|未分類 | comment(0) | trackback(0)
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