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右脳とアート

科学技術の進歩を絶対的な価値と考え、それらを使いこなす文明的な生活こそが幸福で、物理的生産性の向上と公平な社会性ばかりを追求し続ける現代社会。
そこでは感情と結びつきやすいことから常識から逸脱ことが多い、直感やイメージや潜在意識を主体に思考する右脳的表現は、できるだけ目立たないように隠すことが常識とされています。

しかし、唯一堂々と右脳的主張ができるのが、芸術や文学、音楽などのイメージをデザイン化するアートの世界。
左脳は論理性や合理的思考、そして言語や計算能力は長けても、地図を読んだり、立体を把握したり、文章やストーリーの中に隠されている本質やメタファー(暗喩)などを読むことはとても苦手です。
見た目の良し悪しだけを判断することばかりにとらわれ、物事を一面的にダイレクトに捉えることしかできず、多面的に理解することをしません。
本来、アートと呼ばれる美術や音楽、文学など抽象的な物事を司る右脳的能力とは、すなわちその人の精神レベル(フォーカスレベル)とも直結していて、レベルの高さに応じて思考の深さや多面性が違っているのです。

現代の経済至上主義的常識が席巻している社会では、芸術や音楽、そして文学などのアートは、その本質的な良さや深さ、真理の追求性よりも、どれだけ多くの人の注目を集めるかといったポップカルチャーやサブカルチャー的な注目度や、どれだけ収益につながるかという生産性などが重要となってきているようです。
19世紀の音楽や絵画などの芸術が盛んだったころのアート作品と現代を比べると明らかなように、現代アートには流行性はあってもそこに多面的な意味や美しさの本質は見ることはほとんど無く、時間の経過と共にすぐに廃れてしまうものがほとんどです。

そのような現代において評価される(蔓延している)アートは、既に右脳から離れ、流行や洗練性だけを重視した左脳的思考だけで組み立てられた、平面的で奥行の感じられないデザインやアレンジ、そして、文章であるように僕は感じます。
生産性だけを考慮したわけではなく、レベルは低くてもしっかりと右脳的に潜在意識からくるインスピレーションを表現したデザインも最近は少し見かけるようになりましたが、それらのほとんどが反社会的感情から生まれたメッセージの枠を超えているようには、少なくとも僕には見えません。

本当に美しく、そして普遍性を持った歴史に残る意匠(デザイン)とは、精神レベルの高さからくる深みのある本質性(存在する意味や機能性)と、左脳的能力の進化からくるハイレベルな洗練性、その両方を伴ったものでなければならないはずです。
|10:06:58|夢の世界と人間の脳 | comment(0) | trackback(0)
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